母は、まだ元気だった頃の口癖がありました。
「お母さんが歳とったら、どっかの施設に入れて、あんたは自由に生きなさいよ」
本当に、そう言っていました。
でも、だんだん身体が動かなくなって、寝たきりになって、話すことも少なくなって。
その時に聞いてみたのです。
「自宅にいたい?」
って。
母は涙を浮かべながら、こくん、とうなずきました。
それなら、と、わたしは自宅介護の道を選びました。
その後、大動脈解離が発生し、多発性脳梗塞になり、だんだん話すことも少なくなりましたが、何かあると
「はづきーーー!」
と、呼ぶ(叫ぶ?)ようになります。
デイサービスでも、よくベッドの上から「はづきーー
!」の声が響いたものです。
段々いろんなことを忘れていき、わたしの顔がわからなくなっても、「はづき」は甘えられる名前、だと認識していたのかもしれません。
わたしに「自由に生きろ」と願ったのは、母の理性の願い、「自宅にいたい」は本心の願いだったのでしょう。
わたしが事故で入院した時、母をひとり置いておくことはできないので、同じ病院に入院することになりました。
わたしは5階病棟、母は4階病棟です。
まだコロナがある時で、病棟を超えて会いに行くことができませんでした。
その後、病院として面会が許されるようになると、わたしも会いに行けるようになります。
ちょうどクリスマスの時期でしたが、母の症状が回復していきました。
食事を取れるようになり、元気になっていきます。
でも、事件が起きました。
わたしが、コロナに感染してしまったのです。
そのまま、個室に10日間隔離されました。
会いに行けず、そして気持ちは焦るばかり。
でも、病院内にコロナを撒き散らすわけにもいきませんし、じりじりしながら隔離が明けるのを待ったのです。
そして、隔離が解かれた段階で、わたしも4階病棟に移り、毎日会いに行けるようになりました。
けれど、10日間の間に、母の身体はとても弱ってしまっていたのです。
看護師さんたちが、「はづきさんは今コロナにかかって、でも治るために頑張っていますよ」という感じで母を励ましてくださったのですが、とても痩せてしまって、ほとんど食べられなくてなっていました。
いよいよ危ない、というときに、母は何を望んでいるのかを確認する会議を、母の病室(個室です)で開きました。
母とわたし、主治医の先生、病棟の看護師さん、自宅での往診の先生と看護師さん、訪問看護師さん、病院の相談員さん、ケアマネージャーさん。
往診の先生も駆けつけてくださって、本当にありがたかったです。
看護師さんが母に
「帰りたい?」
と聞くと、母はこくり、と頷きました。
あとは、わたしの決断次第、とみんなの視線がわたしに集まります。
わたしは深呼吸してから言いました。
「母が帰りたいなら、1日でも、半日でもいいから自宅に連れて行きたいです。本当に、半日でもいいんです」
「じゃあ決まりですね」
そこからさまざまなことが次々と決まっていきました。
まず、わたしが先に帰って、部屋を整え、必要な医療機器をセッティングする。
翌日、母を連れて帰る。
必要な手配をすべて終えたところで、看護師さんが母に向かって言いました。
「よかったね、自宅に帰れるよ!」
その瞬間、母はポロリと涙をこぼしたのです。
「ほんとに帰りたかったんだね」
ぽつりと誰かがこぼした言葉に、全員が頷きました。
そうして、わたしが退院し、部屋を整えて、翌日、母を迎えにいきました。
狭いうちですが、帰ってきた母は、表情はかわりませんでしたが、確かに喜んでいると感じられました。
午後、ヘルパーさんが来たり、訪問看護師さんが来たりで、なんとなく楽しい雰囲気がそこにはあったのです。
夜は、りんごジュースをちょっと口に含ませると、なんだかとても嬉しそうでした。
翌日、朝から看護師さんやヘルパーさんが入れ替わり立ち替わりで、やはりにぎやかな感じです。
1日でも、半日でもいいから、と思っていましたが、なんだか元気そうで、これから必要になりそうなものを、母と一緒に通販で頼んだりして、その日は本当に楽しかったのです。
夜になり、ちょっと呼吸が大きくなってきて、「苦しい?」と聞いてみましたが、母は首を振りました。
明日は何をしよう、りんごジュースもいいけれど、パイナップルも甘くて美味しいんじゃないか、など考えていたら、わたしはすぅっと眠ってしまいました。
母の自宅介護を始めてから、わたしは夜中でも2時間おきには目を覚まして、母の様子を確認していました。
なのに、この夜だけはぐっすりと朝まで寝込んでしまったのです。
はっと目が覚めて、まず、部屋が静かすぎる、と思いました。
母の呼吸音が聞こえなかったのです。
まさか、と思い、母の手を握ったら暖かくて安心しました。
でも、顔に触れた途端、その冷たさにぎょっとしました。
なんでこんなに冷たいの、、、?
母は、静かに、旅立ってしまったのです。
自宅お看取りをする、と決めていたのに、母をひとりで旅立たせてしまったのか、、、
今更どうにもできない、やり直すことすらできない、あんなに寂しがりやの母をひとりにするなんて、、、
そこからは、よく覚えてないのですが、訪問看護師さんの緊急連絡先に電話をかけ、看護師さんは30分もしないうちに駆けつけてくれました。
せっかくですから髪も洗って綺麗に編みましょう、とシャンプーで髪を洗い、綺麗に結ってくれました。
母のお気に入りの服は?と聞かれたので、母の大好きなブランドの服を出して、着替えさせ、そこで看護師さんがひとこと。
「とっても綺麗なお顔なので、お化粧はしなくてもいいくらいね」
本当に、何もしなくても、寝ているだけと言えてしまうような、綺麗な顔でした。
そして、往診の先生も来てくださいました。
最後の診察をして、そして、先生がおっしゃったのです。
「自宅での看取り、立派でした。よく決断しました。素晴らしい決断でした」
その言葉を聞いて、わたしはやっと泣くことができました。
本当に、退院日の午後半日、そして翌日1日。
たったそれだけ。
1日でも、半日でもいいから。
本当に1日と半日。
涙が溢れるほど、自宅に戻れることを喜んでいた母。
あの涙は忘れられません。
葬儀屋さんが来てくれて、丁寧に丁寧に母を抱き上げてくれました。
お母さん。
わたしは、あなたの願いを叶えられたでしょうか。
あれもしたかった。
これもしたかった。
考えれば考えるほど、後悔があって。
その日の午後、母と一緒に選んだ通販の品物が届きました。
もう、いらなくなってしまったものたち。
母がいなくなったベッド。
すぐに回収してもらうのは、母の思い出がなくなりそうで、回収はもっとあとで、ということになりました。
お母さん。
この3年間の自宅介護も、自宅でのお見取りも。
お母さんがわたしにくれた、最後の、そして最高のギフトだったんだね。
わたしが得たものは、いつでも笑って過ごせる強さと、怒らない生き方、というふたつです。
時には不安になったり、泣いたりもしますが、基本は笑顔。
何にも変えられない、わたしの宝です。
母の切なる願い。
それを叶えられたのが、わたしの誇り。
1年が過ぎ、母を懐かしく思い出せるようになって。
両親が旅立って、今はわたしが自分で生きていくんだ、と覚悟がついた気がします。
わたしは生きていける。
お空から、もう苦しくない所へ行った母が、安心して見ていられるように。
母の願い、全力で叶えます。

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